その2 日本から世界へ


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 ホームグラウンドの自由が丘ニューファイブスポットを失ってから、尾田悟はフリーランスとして、都内のジャズクラブに出演していきます。六本木バードランド、六本木スターダスト、新橋ジャンク、銀座サイセリア、あとは店名は忘れたましたが新宿、綱島など。自己名義のグループで、北村英治のグループの一員として、杉原淳(サラブレッズで有名ですね)とのカンサススタイルのテナーバトルなどで演奏していました。
 当時、尾田悟とはよくこんな会話を繰り広げていました。

 「向こうの連中からは、早く米国にこい。おまえなら大丈夫だなんていわれるし、俺も、ジャズを生きている以上はいかないとと思うんだけど、なんたって、海軍軍楽隊出身としては、相手は鬼畜米英だしな、海外なんてハワイしか知らないし、言葉はできないし、。。。」「いけば、なんとかなるもんですよ、テディーだって太鼓判押していたでしょう、我々もおっとりがたなで同行しますよ。」てなことをいっていたら、1985年、何年かモンタレー・ジャズフェスティバルに出演していた北村英治から誘われて、モンタレーに出演することになったのです。
 ここで、私の後悔が始まるのです。尾田悟の海外遠征には是非同行と思っていた私ですが、その年の始め大病を患い長期入院し、職場や家族に大きな迷惑をかけていたのでした。そんな時期なので道楽のジャズのために病み上がりで長期休暇を取って海外渡航なんていいだせず、結局、同行を断念したのでした。そして、尾田悟夫妻とkさんなどファンや関係者は渡航したのでした。
 そして、モンタレーでの尾田悟の活躍は、尾田悟著「酒とバラの日々」に具体的に記述されているので是非ごらんになっていただくとして、尾田悟の演奏は大成功でした。
 その音楽とスタイルは本場でも大きく評価され、また、ハンク・ジョーンズやスライド・ハンプトンなど多くの巨人たちと共演を通じて親交を深めていったのです。さらに、モンタレー・ジャズフェスティバルのプロデューサーのジミー・ライアン氏に気に入られ、翌年からは、直接、尾田悟に出演依頼がくるようになるのです。
 こうして、鬼畜米英にいさんで踏み込んだ尾田悟は一挙に海外活動の場を広げ、尾田悟の奥様にいたってはあっというまに言語の壁を乗り越え、その後、米国のみならず、英国や欧州に演奏活動を行うのです。
 

ハンク・ジョーンズとの親交
 


 こうして、米国で、そして、日本でハンク・ジョーンズとしばしば共演し、親交を深めていき、ついに、1988年12月にハンク・ジョーンズとレコーディングすることになるのです。このときは様々な事情からドラム・ベース抜きのデュエットなり、パドルホイールからリリースされました。
 そして、1990年からは尾田悟は自分でプロモーションを設立し、直接、ハンク・ジョーンズを招聘し、国内でのコンサートツアーを行い始めました。
1991年12月にはハンク・ジョーンズ・尾田悟名義で再びレコーディングを実施。



ハンク・ジョーンズ・尾田悟クインテット
GI・N・MA・KU VOL.1〜VOL.2   
キングKICJ 102 〜KICJ 103
HANK JONES(P)
KIETH COPELAND(D)
MARCUS McLAURINE(B)
KEN PEPLOWSKI(CL,TS)
SATORU ODA(T)
 
 このレコードは尾田悟の希望で映画音楽をモチーフとしたスタンダード集となりました。
 1991年から1992年にかけては、グループの名義をHANK JONES・SATOR ODA GREAT JAZZQUINTETとして国内のツアーを好評のうちに実施。
1992年12月にはこのグループ名義でレコーディング





HANK JONES SATORU ODA GREAT JAZZ QUINTET
STANDARD JAZZ FOR LOVERS VOL.1 VOL.2

KING KICJ150 151
HANK JONES(P)
SATORU ODA(TS)
WARREN VACHE(COR)
MADS WINDING(B)
BILLY HART(D)

HANK JONES SATORU ODA GREAT JAZZ QUINTET
STANDARD JAZZ FOR LOVERS VOL.3

KING KICJ1207
HANK JONES(P)
SATORU ODA(TS)
WARREN VACHE(COR)
MADS WINDING(B)
BILLY HART(D)

このアルバムは,タイトルに女性の名前を付けた,ジャズスタンダード曲集というしゃれた編集

HANK JONES SATORU ODA GREAT JAZZ QUINTET
STANDARD JAZZ FOR LOVERS VOL.4

KING KICJ150 208
HANK JONES(P)
SATORU ODA(TS)
WARREN VACHE(COR)
MADS WINDING(B)
BILLY HART(D)

このアルバムは,タイトルに「love」と「 fool」を冠したジャズスタンダード曲集というひねった編集です。
 この4枚のレコーディングは題名通り、ジャズスタンダードを中心とした名曲集で、ハンク・ジョーンズのグレートジャズトリオをバックとしただけによりモダンな響きのサウンドとなっているのです。海外での成功はそのスタイルにいっそうの磨きをかけることとなり、ハンク・ジョーンズとの共演を重ね、尾田悟は大きく変わっていったのです。
 ハンク・ジョーンズとの交流によって、ハンク・ジョーンズの音楽理論の吸収やハンク・ジョーンズの幅広いスタイル(パーカー以前のスタイルからからバップ、そしてコルトレーンとも共演していますね)を受け入れて尾田悟サウンドをよりモダンなサウンドに変えていったのです。また、これまで自己名義では選ばなかった曲目も積極的に取り上げるようになり(ハンク・ジョーンズは特にバップチューンがお気に入りと感じました)、音楽の幅は広がり、そして、もっとも偉大なことは、尾田悟の音楽が年々若返っていったことでした。すでに還暦をすぎたミュージシャンは腕が衰えたり、マンネリ、クリシュな表現なんてことが多いのに年々若返るのです。テナーの音もドンドン若がえっていくのです。
 こうして音楽的には成功を収めながら、日本ジャズを取り巻くメディアの状況は相変わらず、ベテランジャズメンはメディアには存在しないかのような扱いですから、いま、日本でこんなに熱い音楽が繰りひろげられているのに、広く知れ渡ることはないのだろうな、と勝手に思っていたところ、尾田悟・ハンク・ジョーンズの新作「サトリズム」スイングジャーナル選定ゴールドディスクに選出されたのでした。
 



さらに、1996年には日本のジャズに貢献した者に贈られる、スイングジャーナル誌主催南里文雄賞を受賞したのです。
 かつて、周りからも、自分でも自嘲的に四畳半テナーの尾田悟、ムード音楽の尾田悟と呼ばれていたときから、なんらスタイルは変わっていないのです。ただ、海外での成功やハンク・ジョーンズとのコラボレーションなど多くの出会いが尾田悟の音楽を深め、かつては一部のマニア受けの音楽だったものが広いシーンに理解され評価されるようになったのでした。私も自由が丘ニューファイブスポット時代の自分自身と分かるやつだけわかればいいという音楽(私の勝手な印象です)から、この大きな変貌には驚愕せざるをえません。それでいて、なにひとつ妥協しているわけでもないのですから。


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