ライブに行くということ

 私は、ジャズなどのライブに行き始めて、28年になってしまいました。
いつも、思っているのは、「録音で聞ける音楽は一瞬の記録に過ぎない。」空前絶後の名演でも、一瞬の記録です。エリック・ドルフィーの言葉を待つまでもないのですが。
 大の中古のレコードファンの私ですが、いつも心がけているのが、レコードは音楽家の一瞬の命の記録。素晴らしい感銘をも与えてくれますし、生きる勇気も与えてもらっているのですが、決して、全てではありません。
 ライブを通じて、録音以外の日常の音楽家の姿を知りたい。もし、それがかなえば、たとえば、敬愛するコルトレーンやドルフィーの音楽ももっと深く分かるような気がするし、今、あまり、よくわからない音楽家や苦手なジャンルも克服できるような気がします。
 私は、時間とポケットの中身の許す限り限り、ライブに出かけて、音楽家と時間を共有したい。気恥ずかしいんですが、これはと思う音楽家と一緒に人生を重ねていきたいと思います。忙しい現代ではなかなか難しいんですが。
 ジャズとクラシックなどでライブやコンサートに出来る限り行っている音楽家も片手に余るほどしかいませんが、つたない感性の私でも彼らの音楽上の成長や変化など多くのものを感じ取ることが出来るような気がします。
 これからも音楽家になれなかった私ですが、ライブを通じてジャズに生きていきたいです。特に日本人のジャズは捨てたもんじゃありませんよ。やる気のない外人タレントの垂れ流す音よりはよっぽど素晴らしい音楽がどこかのちっぽけなライブハウスで奏でられていると思います。
 強いていえば、私にとって、日本のジャズでつらい部分は、音楽家のつらさがわかることでしょうか。アドリブに入って、何処へ進むか迷っているアルト吹きなどを見ていると辛いときがあります。同じ事でも外人タレントだとあまり、辛いとは感じないんですが。やはり、同民族のなせるつらさですかね。